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00:00:00〈かつて盟友と汗を流したこのグラウンドでその人は少年のような表情を浮かべていました〉
00:00:13本当に華麗なる守備をねどの辺でしたかね長島さんの手位置は手位置もうちょっともうちょっともうちょっともうちょっと後ろですかねそうですかね
00:00:32ショートスタンボワースねっ すごいなぁ
00:00:38こうやってそうですそうですそうですそうです クルマッチね
00:00:46ミスタープロ野球 長島茂雄さん
00:00:52今月3日 89年の生涯を終えました
00:01:02高度経済成長の時代に登場し 昭和のヒーローとして活躍した長島さん
00:01:20平成に入っても野球界を引っ張り続け その明るさで皆に愛されました
00:01:32どうもお願いします よろしくお願いします
00:01:362004年に脳梗塞で倒れた後 NHKの独占取材に応じていた長島さん
00:01:4310時間を超えるインタビューに記録されていたのはそれまで語られてこなかった長島さんの素顔でした
00:01:57もう何があったらもう長島長島で生きていかれていましたしね
00:02:04うーん 育てても苦痛ね
00:02:08長島市場の存在から逃げたいところだった
00:02:11それでもファンの期待に応え続けました
00:02:23その生涯を貫いたのはどのような思いだったのか
00:02:41戦後最大のスーパースター 長島茂雄
00:02:51日本を照らし続けた89年の人生を肉声を元にたどります
00:02:58大街でございます 大街でございます 大街でございます
00:03:12長島さんの不法が列島を揺るがした今月3日
00:03:17長島さんの自宅を最初に訪れたのが
00:03:28名優 王貞治さんでした
00:03:32長島さんの自宅を最初に訪れたのが
00:03:36名優 王貞治さんでした
00:03:39はい よろしくお願いします
00:03:50今朝連絡をもらいまして
00:03:59えっっていうのが本当に本当に最初の思いでした
00:04:05やっぱりまあこういうことはね誰にでも来る日なんでしょうけどやっぱり一番来てほしくない人に来ちゃったんですもんね
00:04:19どこの不安であろうが長島さんは特別な存在だったということですよね
00:04:28だからまあ野球界の熱気っていうかもう長島さんの存在があったからこそ
00:04:37東京六大学野球のスターだった長島さんその注目度は当初から他を圧倒していました
00:04:541958年に巨人に入団するといきなり大活躍
00:05:041年目でホームラン王と打天王を獲得し天才と呼ばれました
00:05:13人々の心を奪ったのは何よりその勝負強さでした
00:05:23入団2年目それを見せつけた試合がありました
00:05:36昭和天皇がプロ野球を初めて観戦した展覧試合
00:05:434対4のまま迎えた9回裏ジャイアンツ最後の攻撃は再び長島からです5球目村山の高めの速球を長島レフト上段にサヨナラホームランなんとサヨナラホームラン
00:06:00長島さんの人気を支えたもう一つの理由 それはプレーに花があることでした
00:06:17とにかく全球ファンに対していい感じを見せるというものが自分にしては非常に強くありましたね
00:06:31どうしてそんな結果だけじゃなくてもっと見せなきゃと思ったんですか
00:06:39やっぱりポテトである人はそういう気持ちが強くあったんでしょうね
00:06:47空振りをして豪快にヘルメットを飛ばす
00:06:54打てなくてもファンに楽しんでもらおうとサイズの大きいヘルメットをかぶっていました
00:07:01敬遠の時にはバットを持たず打席に
00:07:09抗議のパフォーマンスです
00:07:12そして歌舞伎の所作を意識したというサードシブのフィールディング
00:07:22そのプレーは野球の常識を超えていました
00:07:34同じゴールもあるショートゴール
00:07:38ショートゴールは一番難しいよね
00:07:43ショートゴールは
00:07:45それならショートに任せるんだけど
00:07:48僕の場合はショートゴールを取るからね
00:07:52そこを左右に組めて一人大谷に狙うのだから
00:07:59だから難しいよねショートゴールは
00:08:02ショートゴールはでもショートに任せてもよかった
00:08:06もうこれは野球で言えばいいことじゃないよね
00:08:11ショートであってね
00:08:12失礼かも分かんないけどね
00:08:14やっぱりねゴートというのはね
00:08:17プロがある人が一番面白いね
00:08:20野球の中のショートがある
00:08:23ある時は敬遠のボールを
00:08:30何人のホームラン
00:08:37またある時は王さんへのデッドボールの後に
00:08:47彼!
00:08:49怒りのホームラン
00:08:55球場がまるで劇場となったかのように
00:08:59長嶋さんのプレーはファンを魅了しました
00:09:03当時長嶋さんとのコンビで
00:09:10大犬と並び称された王貞治さんです
00:09:152人が活躍するたびファンの期待は高まっていったと振り返りました
00:09:31ファンの人を興奮させるような役柄を時々2人がやって
00:09:38やはりその2人の活躍に自分をオーバーラップして
00:09:43自分がやっているように思えさせてくれたんだと思うんですよね
00:09:48お客さんがもう自分の上にバーッと乗っかかってくるわけですよね
00:09:53だからやはりもっともう1本、もう1本、もう1本っていうね
00:10:01それだけ貪欲になれるのは
00:10:03やっぱりそういう皆さんの思いが伝わってきて
00:10:07皆さんがもっと望んでるっていうのを感じるからですよね
00:10:13長嶋さんが活躍したのは高度経済成長の真っ只中
00:10:20お茶の間にテレビが急速に普及し
00:10:25プロ野球は国民的娯楽となっていました
00:10:29テレビ時代の申し事となった長嶋さんは
00:10:35ヒゲを剃ってもニュース
00:10:38焼きそばを食べてもニュース
00:10:42本人主演の映画も制作されました
00:10:51こんにちは
00:10:56よー僕たちよく合うね
00:10:58元気か?
00:10:59うん
00:11:00走ったさ、そりゃ苦しかったけど
00:11:02まだ足はとても痛いんだからな
00:11:04人気は加熱する一方でした
00:11:11ジャイアンティーファンの後ろたちっても
00:11:23ほとんど野球毎日来るでしょ
00:11:27もう待つけどね
00:11:30それで野球を見る
00:11:33長嶋さんはどうだ?
00:11:35大川はどうだ?
00:11:36だからファンと選手が一緒になってましたよ
00:11:41ファンも無我持ちだった?
00:11:43無我持ちよ
00:11:44選手も無我持ちよ
00:11:46行ったとなって野球とゲームをやるようにしましたからね
00:11:52長嶋さんは現役時代には決して語らなかった
00:12:07ある思いも打ち明けていました
00:12:12時に長嶋修行の存在から逃げたいと思った
00:12:16あるね、始まったらね、50年の中にね
00:12:20どんな時ですか?
00:12:22やっぱり若い20歳、30歳、始まったけどね
00:12:30それからもう何があったらもう長嶋で生きていかれていましたしね
00:12:38長嶋さんはきついね
00:12:46答えになれないところにもあるよ、そこだ
00:12:53だから時にはぱっとこう自分から逃げてね
00:12:59自分の人に忘れるものをね
00:13:04いつもいいなという気持ちがありましたけどね
00:13:09膨らみ続けるファンからの期待に苦悩を深めていたという長嶋さん
00:13:19その胸の内を周囲に伝えることはありませんでした
00:13:25その胸の内を周囲に伝えることはありませんでした
00:13:31孤独ですよね
00:13:34孤独はやっぱり一番強いよね
00:13:40孤独でしたか?
00:13:42孤独でした
00:13:43もう相手に言えない、言えない
00:13:46自分自身の中に思ってるから
00:13:49やっぱり孤独っていうのはね
00:13:55どういうものかというと
00:13:57どうでしょう
00:13:58やっぱり自分自身がね
00:14:01人の中に出ないこと
00:14:04自分自身の中にしまとくこと
00:14:07それが大事なことだと思うね
00:14:11長嶋さんならではの苦悩というかね
00:14:17そういうものはものすごく大きかったと
00:14:19大きかっただろうとそう思います
00:14:21作ったものが大きい大きいほど苦しいわけですよね
00:14:26だけどそういう意味で弱い部分というか悩んでる部分というのは
00:14:30そんなに見せられるものじゃないですし出せないですからね
00:14:35当時、ONには天才長嶋、努力の王というイメージが浸透していました
00:14:50そんな中で、長嶋さんはファンの期待にどう応えようとしていたのか
00:15:01その姿を記録していた人がいます
00:15:04王さんの一本足打法を指導した
00:15:08巨人の打撃コーチ、荒川博さん
00:15:12練習日誌には
00:15:17長嶋さんが荒川さんに教えをこうていたことが記されていました
00:15:23主位打者にいても、ちょっと当たらなくなると勉強しに来るのは大したものだ
00:15:37特別練習を3日間もやった
00:15:46長嶋さんはやっぱり努力の塊ですよ
00:15:51これはもう僕はそう思ってます
00:15:54もう全然習う姿勢が違うね
00:15:58これはもう目もギラギラしてね
00:16:01これは違いますよ
00:16:04天才というイメージとは正反対ともいえるその姿
00:16:12しかし長嶋さんはそれを決してファンには見せませんでした
00:16:18ほとんど練習を見せないで
00:16:28嫌だね、そうかね
00:16:30なんでですか?
00:16:31いや、やっぱり嫌だね
00:16:34練習を見せるのか?
00:16:36どうして嫌なんですか?
00:16:37やっぱり視野に立って初めてファンが自分の見えるんだから
00:16:43練習は見せないで
00:16:46そういうものでしょう、プロ野球というものは
00:16:50はい
00:16:52弱いところは見せない
00:16:53はい、いいところだけ見せない
00:16:54いいところだけ見せない
00:16:58シーズンオフ
00:17:03シーズンオフ
00:17:04長嶋さんがこもった
00:17:06伊豆山中にある老舗旅館です
00:17:08練習パートナーだった元巨人の小郷博さん
00:17:24この部屋の中で毎年打撃練習を行ったといいます
00:17:30長嶋さん外でやりましょうとこれだけの庭もあるしここに何かボンギ立てて網張っておけばいいわけだからね外でやりましょうよとこれぶっ壊したら大変じゃないですかって言ってもだからその時に長嶋さんがお前何言ってんだお前バカ分かってないなと
00:17:52長嶋さんは聞き入れませんでした
00:18:04呼吸止めないとタイミングが合わないんですよ長嶋さんに投げるのにね
00:18:10でポンと投げて長嶋さんもバッと構えておいて
00:18:14ブシーンとまたまたそれをやり繰り返しはだから200から250球ぐらい前に打ってた
00:18:22時には部屋を真っ暗にして素振りをしていました
00:18:32音でスイングの状態を確認していたといいます
00:18:38音でスイングの状態を確認していたときに
00:18:42テンサイじゃないやつを思っていたんです
00:18:46そうね集まったら本当にテンサイじゃないという気持ちがずっと多いよ
00:18:52僕はテンサイじゃないやっぱり
00:18:58短緯やるかんやストームやるかんや
00:19:02I had to fight the war on the other side.
00:19:09I was a big fan of the war.
00:19:13I had to fight the war on the other side.
00:19:19I was in the war.
00:19:24I was just a kid.
00:19:26How did he get the title of the title?
00:19:33He was able to win several titles.
00:19:37He was able to get the title of the title.
00:19:43He was able to get the title of the title.
00:19:49Oが打てば長島も打つ
00:19:59巨人は9年連続日本一V9という記録を達成します
00:20:191974年長島さんは38歳の時引退を迎えます
00:20:34現役最後のこの日
00:20:48通算444本目のホームランでした
00:21:18フローズ
00:21:27I wanted to go to the country and go to the country.
00:21:32I wanted to go to the country and go to the country.
00:21:40It was the first time I was born.
00:21:52And then...
00:21:53My honor, I am honored to be here today.
00:22:03Today, I'm going to continue my career.
00:22:08I will go now, I am a leader, but my cannon群は永久に不滅.
00:22:21A-Q-N-U-M-E-T-O-S
00:22:29The film was for the 17 years of the film.
00:22:36The name of the young man who gave the words to me.
00:22:40The father said,
00:22:45I said,
00:22:47I said,
00:22:50I said,
00:22:53I said,
00:22:55I said,
00:22:57I can't.
00:23:00I can't.
00:23:03I can't.
00:23:10I can't.
00:23:15I can't.
00:23:20I can't.
00:23:24I can't.
00:23:30I can't.
00:23:36I can't.
00:23:39I can't.
00:23:43長島さんが大切にし続けたファン全国の人々がその死を悼みました。
00:24:00長島さんがたくさんの勇気ももらったし喜びももらったし感動ももらったし80になるけど本当にもう自分の人生で一番最高の人だったね長島さんはね。
00:24:15いろいろな大変な中あの方の明るさに救われた人たちがものすごくたくさんいらっしゃって何よりもまあ太陽みたいな方でしたのでお疲れ様でした。
00:24:30幅広い世代の人々に愛された長島さん。
00:24:45引退後の人生も波乱に富んだものでした。
00:24:581975年現役を引退した次の年に長島さんは巨人の監督に就任します。
00:25:17しかし華やかなプレーで栄光を築いた選手時代とは全く勝手が違いました。
00:25:28選手の力を思うように引き出せず1年目は球団初の最下位に転落。
00:25:44一度も日本一になることなく6年で監督を終えました。
00:25:51やってみたらね、まあ再開に終わったんですけど。
00:26:02野球というものはね、野球というものはね、やる方と見れれば大変だ。
00:26:11野球というものはむしろいいなというものでしょって感じました。
00:26:17悔しいと同じにね、やっぱり巨人がね、勝たないということはね、不安がやっぱり一緒だと。
00:26:29一緒になってね、不安も起こるんですよ。
00:26:32それがわかるからね、余計にやっぱり悔しい者というものがあるからね。
00:26:39そうだよ。
00:26:43長嶋さんはグラウンドから姿を消すことになりました。
00:26:581993年、サッカーJリーグが誕生。
00:27:08一大ブームが巻き起こります。
00:27:13野球人気は陰りを見せていました。
00:27:20バブル経済が崩壊し日本は長い景気低迷の時期に入っていましたそうした中12年の時を経て永島さんに再び監督就任の要請があったのです。
00:27:45その頃というものはね、やっぱり野球そのもとにね、サッカーがね、だんだんだんだんだんね、力をつけて、ファンにね、ずっと会ってきた。
00:28:00野球よりもね、むしろ上に行ったのはサッカーだと。
00:28:07その時と野球はどうする、どうすると思ってて、よし。
00:28:14サッカーがああいうふうに研究を出て、皆さんがいっぷりになってきたんだから、野球もね、もう一回やってみるということを思って、それで野球に行きました。
00:28:29そこで永島さんは一人の若者と出会います。
00:28:41交渉権確定という因果をしたものがあるということです。
00:28:48永島さん引退の年に生まれ高校球界屈指のスラッガーとして注目を集めていた長島さんが目指したのは松井さんを新たなスーパースターに育てることでした。
00:29:13永島さんは経験のすべてを松井さんに注ぎ込みます。
00:29:20永島さんは経験のすべてを松井さんに注ぎ込みます。
00:29:28毎日自宅などに呼び、マンツーマンで指導を行いました。
00:29:35かつての自分と同じように、人目につかない場所で素振りの特訓を行うためでした。
00:29:42永島さんはこれをね、真っ赤にしてみて。
00:29:49明かり消して。
00:29:56明かり消して。
00:30:03明かり消して。
00:30:10真っ赤になる。
00:30:12今度は音の世界をやると。
00:30:15音の世界をやると。
00:30:20音の世界をやって、どこに音がするかしないかをやってみてました。
00:30:34まさに監督が現役時代に。
00:30:36もう僕が現役時代と一緒だった。
00:30:41その世界、その形が松井さんは分かった。
00:30:45わかってましたね。
00:30:49全然分からないですよ。
00:30:52まず音で、自分で音で聞き分けられないですから。
00:30:56自分がいいか悪いか自分で判断できないですよ、最初。
00:30:59全部同じ音に聞こえますから。
00:31:01自分の中ではね、監督はダメ、ダメ、音が割れてる。
00:31:06音が、ここで音がしてるとか言って。
00:31:10本当にわかんの、監督。
00:31:13でもね、どうですかね、2、3年目からですかね。
00:31:20それをね、いけいに。
00:31:222、3年かかったんですね。
00:31:23かかりますよ、ちゃんと自分で判断する。耳でね。
00:31:26あっこの感じで振ったらその音が出るんだみたいな。
00:31:31っていうのはやっぱり自分の体でも分かってくる。
00:31:33体でも耳でも少しずつ分かってくるわけですよね。
00:31:36さらに長嶋さんは自分が大切にしてきた信念を伝えていきます。
00:31:46まだ僕は21とか22くらいの時に、オープン戦だったと思うんですよ。
00:31:51オープン戦の時に監督が来て、僕のとこ来て。
00:31:56巨人の中心選手は休んじゃダメなんだよと言って。
00:32:03お客さんはね、その選手を見に来るんだ。
00:32:06だからそのお客さんをがっかりさせてダメだ。
00:32:11ちょっと痛いかゆいで休んじゃダメだよっていう。
00:32:15はい。
00:32:17それ以降絶対、多少なことあっても絶対休まないと思ってます。
00:32:22プロ野球選手として、巨人の中心選手としての、なんて言うんですかね。
00:32:32こうあらなくちゃいけないっていうか、あるべき姿と言いますかね。
00:32:35それを徹底して教え込まれたような気がしますよね。
00:32:39やはりついお客さん、お客さんあってのプロ野球選手、お客さんあっての松井秀樹なんだ。
00:32:48ということを絶対忘れるな。
00:32:51ということはもう徹底して教え込まれたと思います。
00:32:56おそらく監督さんは、長島監督さんはいつもずっとそのことを意識されてたんだろうなと思います。
00:33:09二人は、新たな熱狂を届けていきます。
00:33:18史上初、同率主位の2チームで最終戦でリーグ優勝を争った10.8決戦。
00:33:28長島さんは、国民的行事と呼んで盛り上げます。
00:33:37絶対に負けられない重圧の中、松井さんを第3打席。
00:33:41勝利を決定づけるホームラン。
00:33:50テレビの視聴率はプロ野球中継史上最高の48.8%を記録しました。
00:34:297月の時点で、首位と11.5ゲーム差の絶望的な状況で。
00:34:36松井さんがMVPを獲得する活躍で奇跡的な逆転優勝をもたらします。
00:34:55この時、長島さんが掲げていたのが。
00:35:02メイクドラマ。
00:35:03メイクドラマ。
00:35:04メイクドラマ。
00:35:05メイクドラマ。
00:35:07メイクドラマは、この年の流行語大賞の年間大賞に選ばれました。
00:35:14文法的に言うと、メイクドラマなんてないという。
00:35:17つまり、専門的に言いますと、メイクドラマチックなんですね。
00:35:22そして、2000年。
00:35:29栄光の背番号3を26年ぶりに復活させました。
00:35:47メイクドラマ。
00:35:48頑張れー。
00:35:49行けろー。
00:35:50もう感激しました。
00:35:52もう、鹿児島から来たんですけど、来たからやりました。
00:35:55イーズリアム3番は。
00:35:57憧れですから。
00:35:58松井さんを数々のタイトルを獲得するスーパースターに育て上げた長嶋さん。
00:36:13ファンを魅了し、そして勝つ。
00:36:18理想としていた野球を実現させました。
00:36:222人が出会ってから10年。
00:36:37松井さんはメジャーリーグミューヨークヤンキースへ移籍を決断します。
00:36:58実は、長嶋さんは松井さんに自らの夢も託していました。
00:37:08大学生の頃からメジャーリーグに憧れ続け、現役時代には遺跡の話が持ち上がったこともある長嶋さん。
00:37:19とりわけ、1人の選手に強い憧れを抱いていました。
00:37:29ヤンキースのスーパースター、ジョー・ディマジュ。
00:37:3656試合連続ヒットの不滅の大記録。
00:37:41そしてファンのために休むことなく全力プレーを貫く姿勢から野球選手の鏡と呼ばれました。
00:37:55やっぱりね、野球に対するものはね、不安があって野球だと。
00:38:02不安があって野球がね、デマジュはね、強い意識を持ってるね。
00:38:09私はね、日本のね、ジョージマジュになるんだと。
00:38:15俺はお前をジョージマジュに、日本のジョージマジュにしたいんだ。
00:38:21ご自宅にジョージマジュの写真が何枚もあるんですよ。
00:38:27あ、監督ジョージマジュが好きなんだと思って。
00:38:30その時に自分で、ああ、ヤンキース、ジョージマジュっていうのはもうちょっと大きくなって。
00:38:37少しずつ大きくなっていってですね。
00:38:39緑に行きたいと思ったら、自分は絶対ヤンキースで行きたいと思ってるんですよね。
00:38:44ヤンキースタジアムでのデビュー戦。
00:38:59満塁ホームラン。
00:39:06世界最高峰の舞台で、アメリカのファンを魅了していきます。
00:39:18長嶋さんは、日本から罠弟子のことを見つめ続けました。
00:39:28松井さんが調子を崩すと、国際電話で素振りの音を聞き、アドバイスを送りました。
00:39:43左手首を骨折し、13年間続けた連続試合出場が1768で途切れた時も。
00:39:53補接してすぐ電話がかかってきて。
00:39:58リハビリしっかりやれば大丈夫だ。
00:40:02とにかくしっかりやれば大丈夫だから。
00:40:04復活の時を信じて。
00:40:08頑張りなさいって。
00:40:17非常に勇気づけられました。
00:40:20苦しいリハビリを乗り越え。
00:40:29松井さんは復活します。
00:40:36ワールドシリーズで、MVPを獲得。
00:40:41長嶋さんと松井さん。
00:40:46二人の夢が実現した瞬間でした。
00:40:51松井さんは10年間、アメリカでまたヤンキーをする。
00:41:06ヤンキーストのチームに入ってヤンキーストが弱まったよ。
00:41:11マネーホーナーでMVPを獲得。
00:41:24日本戦争も今やアメリカのように強いなという気持ちを持っていました。
00:41:34やっぱりこのバットだったってね。
00:41:42バット一本でマチー君が作るんだからね。
00:41:46このバットが作っていくんだからね。
00:41:49はい。
00:41:50はい。
00:41:51はい。
00:41:52作っていくんだから。
00:41:53はい。
00:41:54はい。
00:41:55はい。
00:41:57こんにちは。
00:41:59まあ、やっぱり素振りで、
00:42:23بليで会話をしていた。
00:42:29滑りを通じて、
00:42:33野球選手としての大事な部分を捐けてくださった身,
00:42:38松井秀樹という野球選手において最も大切なことを捐えてくださった。
00:42:50That's what I think is the best of luck, and the best of all I've ever seen in the world.
00:43:03I don't know how to do the next generation, but I don't know how to do it.
00:43:18I was supposed to do a lot in the end.
00:43:22I was supposed to do something like this, but I was supposed to be there.
00:43:33松井さんを育てた長嶋さんその後も晩年に至るまで後進を育て続けることになります
00:43:542002年アテネオリンピックを目指す日本代表の監督に選ばれ若手中心のチームづくりに取り組みましたその時選手たちに伝えていた言葉がありました野球の伝道師たれ
00:44:22プロとしての頂点を極めたプレーヤーの誇りと名誉にかけて球界のためにこれからの将来のために後輩たちに指導するまた伝道者としてそういう使命があるそういう集団ですからまさに日本野球文化を守る志士たちと言えるんじゃないでしょうかね
00:44:43しかしアテネオリンピックの舞台に長嶋さんの姿はありませんでした開幕のおよそ5カ月前脳梗塞で倒れたのです
00:45:03右半身に麻痺が残りました
00:45:17長嶋さんはリハビリのために歩くことを日課としていました
00:45:29やっぱり毎日努力すると
00:45:40毎日毎日がね
00:45:43やって特化や控えやったらダメだ
00:45:48街同じ形をね出さないと
00:45:52休んだらダメです
00:45:54ダメ
00:45:54戻っちゃうんですね
00:45:56でも毎日やってると
00:45:58少しずつ
00:46:00現役時代
00:46:07努力する姿は見せないという信念を貫いた長嶋さん
00:46:12しかしリハビリに励む姿は
00:46:18あえて公開しました
00:46:24リハビリは逆にお持ちで出た
00:46:31病気がね病気だから思って出るということね
00:46:38だから野球の選手にもとも逆に出た
00:46:42いろいろとそのことはね
00:46:48もうほとんどリハビリをしても人に見せないものね
00:46:54自分はありましたけどね
00:46:57そして薄いだと
00:46:58今ね
00:47:00その病気になっているのは
00:47:02北海道
00:47:04みやみや
00:47:06沖縄
00:47:07約200万人
00:47:09今ね
00:47:10冒頭ね
00:47:11200万人いるんですけど
00:47:14その人たちのためにね
00:47:16少しでも役に立てばいいということでね
00:47:20一般人症たちはみんな
00:47:22分からないけども
00:47:24みんな病気になった人はね
00:47:27分かってますから
00:47:28よし
00:47:30じゃあ表に出て
00:47:32表に出てやろうということでね
00:47:35それで出たわけ
00:47:36長嶋さんは
00:47:46その後も野球に関わり続けました
00:47:49野球教室に参加し
00:47:56子供たちに楽しさを伝えたのです
00:48:00ご視聴ありがとうございました
00:48:30晩年の長嶋さんから
00:48:49大切なことを教わったという人がいます
00:48:522023年のWBCで
00:49:05日本代表を世界一に導いた
00:49:08栗山秀樹さんです
00:49:10何かもっといろんなことを教えてもらいたかった
00:49:17話聞きたかったなっていう
00:49:19感じが
00:49:21するな
00:49:23何か本当に北極星が落ちるみたいな
00:49:28中心になっている
00:49:30そんな感じは聞いただけない
00:49:33一生懸命だけど
00:49:34実は
00:49:42WBCの日本代表監督として
00:49:45大きなプレッシャーを背負った
00:49:47栗山さんに
00:49:48長嶋さんは
00:49:50アドバイスを送っていました
00:49:52自分の信じた野球をやりなさいと
00:50:00これはあなたが監督になって
00:50:02あなたがやるので
00:50:03それは
00:50:04自分のやっぱり
00:50:06信じた道を進まないと
00:50:08やっぱり結果に結びつかないので
00:50:09それはすごく楽になりましたし
00:50:12野球ってやっぱり
00:50:15答えがあるものではないので
00:50:16結果が答えだったりすることが多いので
00:50:19そういう言葉をいただいたっていうのは
00:50:22嬉しかったです
00:50:25アドバイスを胸に
00:50:33決勝に臨んだ栗山さん
00:50:351点リードの9回
00:50:40最後のマウンドを
00:50:43大谷翔平選手に託しました
00:50:45世界一を手にした日本
00:51:01試合後
00:51:10栗山さんが選手たちに
00:51:13かけた言葉がありました
00:51:14スタートする時に
00:51:15これだけの素晴らしい選手が
00:51:18集まっているのに
00:51:19おかわり
00:51:19ジャパンというのは
00:51:21野球の伝統師であれ
00:51:22というような思いがあるんですけど
00:51:24今回多くの
00:51:26本当に日本中に
00:51:27野球の素晴らしさが
00:51:28スタートだというふうに思います
00:51:29伝道師たれ
00:51:3320年前
00:51:36長島さんが掲げた言葉でした
00:51:39ただ勝てばいいんじゃない
00:51:46どう勝つかみたいなものは
00:51:48すごく重要なんだというところは
00:51:51僕らもすごく
00:51:52言われ続けてましたし
00:51:55素晴らしい野球をやるのは
00:51:57大事なんだけど
00:51:58いかにファンの人たちが
00:51:59喜んでくれるか
00:52:00そういう長島さんの思いを
00:52:03伝えなければいけない
00:52:04責任がある時に思ったし
00:52:05それがすごく重要なことなんで
00:52:09メジャーリーグのスーパースターとなった
00:52:18大谷翔平選手
00:52:20その選手としてのキロにも
00:52:29長島さんが関わっていたことが分かりました
00:52:31プロに入団した直後
00:52:41二刀流への挑戦に
00:52:43批判の声も上がっていた大谷選手
00:52:46長島さんは監督だった栗山さんに
00:52:57アドバイスを送っていたのです
00:53:01長島さんは長島さんで
00:53:07バッターの才能というのは
00:53:09見出していた部分というのは
00:53:10あったと思うんですけど
00:53:11本当に両方才能あるよねって
00:53:15そう思っているんだよね
00:53:15いけると
00:53:16だったら行きましょうよという
00:53:18周りではなくて
00:53:20自分が信じた道を
00:53:22選手と一緒に歩むべきだという
00:53:24165キロ
00:53:30誰もやったことのないこととか
00:53:54みんなが驚くような野球の形っていうのは
00:53:57それはスーパースターの存在そのものが
00:54:03そういうことなんで
00:54:04そういうものを作っていくっていうのは
00:54:07できるなら行きましょうよって
00:54:09行くんだよっていう感覚で
00:54:11人ができないことができる
00:54:14もちろんプレーがすごいんですけど
00:54:16あんだけ全ての人が見たくなるような
00:54:18プレーヤーっていうのは
00:54:20まあそこは共通点かなっていうふうに思いますけど
00:54:22長嶋さんが辿ってきた野球人生
00:54:34ファンの期待に重圧を感じながら
00:54:44それに応え
00:54:46喜びを与え続けた現役時代
00:54:50後に続く人たちを育て上げた
00:55:03監督時代
00:55:04インタビューの最後
00:55:30自身の人生をこう語りました
00:55:34役にとっては何て言ったのかな
00:55:43人生のものじゃないかね
00:55:48逆にそのものが人生であるということをね
00:55:56僕はそういうつもりで持ってますけどね
00:55:58長嶋茂雄さんというスーパースターの人生は幸せですか
00:56:05幸せですか
00:56:12やっぱり幸せじゃないかな
00:56:15はい
00:56:22やっぱり野球選手であったということ自体が幸せだったと
00:56:28そう思います
00:56:29はい
00:56:30はい
00:56:31はい
00:56:32はい
00:56:33かつて自分たちが野球に打ち込んだ玉川グラウンド
00:56:56名優の王さんと共に現役時代に帰ったかのような長嶋さんの姿がありました
00:57:08そうだな
00:57:09こうやってもう
00:57:10こうやってね
00:57:15本当ですね
00:57:16こうやって来ると
00:57:17なんかもうずっと遠ざかってるんだけど思い出しますね
00:57:20思い出すね
00:57:23本当ですね
00:57:27こうやって構えてね
00:57:28こうやって下でバーンって行くんですよ
00:57:35こうですね
00:57:36ね
00:57:42いやいや
00:57:43いやいや
00:57:46昔帰りましたな気持ちが
00:57:47いやいや
00:57:49いやいや
00:57:50でもやはりほんと
00:57:51ついまた思い出して
00:57:52思い出せるんだ
00:57:54どうかバッティングだったからそんな思い出せ
00:57:56いや
00:57:57いっ
00:57:59そう
00:58:01全てを乗り越えるっていう姿勢をね
00:58:03持って
00:58:04存在の大きさっていうのをね改めてね思ってたんですけどそれ以上っていう新たに思い知らされてありがとうございましたという言葉で全て表せると思います
00:58:30ご視聴ありがとうございました
00:59:00NHKスペシャル人体いよいよ最終回最新科学はどこまで命に迫れたのかそして命の意味とは15日日曜夜9時
00:59:14映像の世紀バタフライエフェクト
00:59:21世界を変えた巨大災害破壊と変革の記録
00:59:26神田博山のこれが我が社の黒歴史家電量販店の黒歴史はまさかの
00:59:36え社長が黒歴史
00:59:38演じるのは妖怪ウォッチだに9日夜11時
00:59:45いざテキトツブラボースペシャルブラボーなそばが続々登場
00:59:53テキトツ召し上がれ総合11日夜7時57分
00:59:58テキトツ召し上がれ総合11日夜7時57分